教師=完璧であるべきという文化

アジア圏では、教師=完璧であるべきという思想が根付いている。


こと非母語話者である外国語教師に完璧を求めるのは酷である。


学習者も非母語話者

教員はそのモデル、非母語話者としての理想を提示すべき存在であり、完璧な外国語を話すことを期待しては本来いけないのである。


ユーザーとしてなら、ペラペラ臆せず話せる先生も

ティーチャーという立場だと自ずとハードルが上がり話さなくなる。


アジアの英語先生あるある


まあ、そうは言っても文化は文化


なくならないんだろうなー